株式会社 福田酒造

球磨焼酎銘柄|極醸、山河、樽神輿、はなてばこ

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球磨焼酎と福田酒造の歴史

ふるさとのたからもの1そもそも、球磨焼酎ってどんな焼酎でしょうか?!

ふつうの米焼酎と、球磨焼酎と、いったいどこが違うの。
なんて、素朴な疑問をもっている人も少なくないでトしょうね。
いちばんの違いは、文字どおり「球磨jという地名がついて
いるかどうかです。「球磨」の地名を冠にできる焼酎には、
いくつかの約束ごとがあります。まずは、使われる原料が
お米だけということ。そして、人吉・球磨地方の地下水を
使って仕込んだもろみを、人吉・球磨地方で蒸留してピン
詰めまでする。ここまでやってはじめて、球磨焼酎といえ
るわけです。人吉・球磨の自然の恵みで、人吉・球磨の人の
手によってつくられた、球磨の文化そのもの。どこにもまね
できない、特別な米焼酎なのです。

球磨焼酎のふるさと、球磨地方についてかたりましょうか

 球磨焼酎を語るためには、そのふるさと、球磨地方について触れないわけにはいきません。なぜ、かというと、球磨焼酎は球磨地方の風土や歴史、人々のくらしとのかかわりがとても深いから。球磨地方だからこそ、この焼酎ができた、と言ってもおおげさじゃありません。
九州山地のけわしい山々に固まれた盆地にひろがる球磨地方は、県下でも有数の米どころ。
山すそから湧き出でる水が、やがて清流球磨川の流れとなり、豊かな土壌を育んで、います。この地はそのむかし、鎌倉時代から代々700年問、相良氏によって治められていた、いわゆるかくれ里。盆地という地形もあり、外からの影響を受けることなく、独自の文化が育まれてきた背景があります。このため、球磨焼酎のように土地と結び、つきが強いお酒が生まれ、大事に飲みつがれ、いまもなお愛されつづけているのです。
山

ところで、球磨焼酎の起源が気になります。

年表

 球磨焼酎がいつから造られているのか、じつは正確なことがわかっていません。ただ人吉・球磨地方では、少なくとも戦国時代から焼酎が飲まれていたと考えられています。
その証となる史料は、1559年(永禄2年)、当時相良藩が治めていた鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社で、見つかった落書き。
そこには、「施主がケチで、工事の間一度も焼酎を飲ませてくれなかった。
なんとも迷惑で、ある」と、神社の修理工事にもなかなかおもしろいですが、それほど当時の人にとっても、焼酎が飲みたくでしょうがないうまいお酒だったと想像できますね。
ちなみに、ここで登場する焼酎の原料は定かではありませんが、芋焼酎の原料であるサツマイモが琉球から薩摩にわたったのが17世紀にはいってからのことなので、お米、または雑穀を原料とした、人吉・球磨地方の焼酎であった可能性が高いと思われます。

球磨焼酎は球磨の人たちとどんなかかわりをもっていたのでしょう。

 人吉・球磨地方の焼酎造りは、江戸時代にはいると盛んになります。ただ、球磨焼酎の原料であるお米は、藩にとって重要な物資でもあったわけですから、いくら豊かな米どころといっても、そうそう自由に米焼酎を造れるものではありません。
球磨焼酎は、相良藩にとって大きな収入源でもり、国酒として造られ、武士や上流階級だけの飲みものだったのです。
庶民のあいだで米焼酎が飲まれるようになるのは、明治にはいってから。といっても、ほかの土地の人には手に入りにくかったので、[伝説の酒J「球磨の濃き酒jと左党のあいだではひそかな評判になっていたとか。
500年間の球磨焼酎の歴史には、おいしく飲む人の姿がいつもそばにあったのですね。


(参考文献/「ふるさとのたからもの」球磨焼酎酒造組合発行)